何度も繰り返される人生の中のこの人生

 保坂和志『小説、世界を奏でる音楽』

 “人間がまったく同じ人生を何度も繰り返すのだとしたら、私は次の人生でもチャーちゃんと同じように別れて、その後、同じように悲しまなければならない。それを何度でも繰り返さなければならない。ならば、私は今回のこの人生の中で、チャーちゃんにまつわる悲しみや死んで別れることについて解決しておかなければならない。前の人生で自分がどのように解決したかなんて知りようがないけれど、今回のこの人生でちゃんと解決しなければ、次の人生で解決することもできない。
 「一度きりの人生さ。」
 なんて気楽なことを言っている場合ではない。いまここで解決できなければ、解決できない人生を何度でも生きることになる。次の人生でこの人生での解決が生かされるとか生かされないとかいうような生易しいことでなく、この人生で解決しなければ次の人生でも解決はありえない。しかも悪いことに、私は「まったく同じ人生を何度も繰り返す」ということを知ってしまっているのだから、次の人生での自分の悲しみを今の人生で経験することはなくても、次の人生で自分が悲しむということは明確に知っている。なぜなら、いま知っているのだから。
 (略)この人生で頑張らなければならないのは、前の人生で頑張らなければならなかったからでなく、この人生で頑張りをあきらめてしまったら次の人生でも頑張りをあきらめることになるからだ。この人生での経験は次の人生でまったく何も知識としては生かされないが、この人生での頑張りはそのまま次の人生での頑張りとなる。” (434−435頁より)

 いまのこの人生の悲しみや喜びを、生まれる度に、まったく同じに経験するのだとしたら、とてもこわくなる。というか、おそろしい。自分が経験した悲しみや苦しみを、また別の自分(誰か)が同じように経験するのだとしたら、いたたまれなくなる。私ひとりで充分じゃないか。でも、また繰り返すのだろうし、私の前にも同じ経験をした人間がいるのだ。とすれば、やっぱりこの苦しみや悲しみは何かと繋がっていて、そう考えると勇気が出る。

 『同じ人生を何度も繰り返す』ということを頭の中においておくと、この人生の、日々の一回きりの出来事や出合いをより強烈なものとして感じる。
 この人生で起きたことはこの人生で解決しよう。たとえ解決ができなかったとしても、自分に正直に生きるんだ。悲しかったらちゃんと悲しもう。嬉しいときはめいっぱい喜ぼう。悲しいときに悲しい気持ちに気づかないふりをしたり、適当なごまかしをつけて自分を押し殺すことは、何の解決にもならないし、解決するべきことにも気づけなくなるから。(大人になるというか、時間を積み重ねていく過程で、大事なことを忘れてしまったり、ずっと大切にしていたことを大切に思わなくなるのがおそろしい。大切なことや大事なことは、時間が経てば経つほど、もっともっと大切になって、もっともっと大事になるんだから。)
 自分の感受性や深いところは「自分」という存在の内側だけに閉じられているのではなくて、世界や過去(歴史)や他の誰かや次の人生(未来)とちゃんと繋がっているんだ。