時間の厚み

『人が生きるということがすでに死んでいる人たちを<私>と一緒に移動させることだ・・・』
保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』379頁)

人間が生きているということは、時間の厚みが増していくということでもあり、それはひとりが生きる時間の中で出合う他人の人生であったり、自分の前に生きていた父親の父親の父親の人生に想いを馳せることであったり、過去にこの地で生きていた人たちの生き方を想像したり、、、。生きることを続けるほど今は死んでしまったが過去に存在した人と一緒に今の<私>というものがあるんだということを、なんとなくだかしみじみとわかるようになってくる。

他者と一言で言っても、時間の厚みがある他者とただすれ違うだけの他者では全くちがってくる。どんな刹那であっても(その他者が生きていようが死んでいようが関係なく)他者との時間の厚みを重ねていくことが生きる慶びなのだと思う。(『人を人とも思わなくなったとき、堕落が始まる』のだろう。)

時間の厚みということをこれからもっと大切にしたいと思う。