先生とするべき相手

 先週の土曜日、マイケル・サンデル氏「大震災特別講義」がNHKで放映されていた。5分程みた。ため息が出た。テレビから離れた。バカタレと思った。 
 原発や事故に関して発言する人たちのどれほどがモノや現場から考えているのだろうか。原発事故で被災した場所を故郷にもつ人があの場にどれほどいたというのか。考え方の根本というか、モノやコトへの接し方の構図が震災前と何も変わっていないじゃないか。
 今、原発に関して教えを請うべき、話を聴くべき相手は被災した人であり、故郷から離れざるを得なかった人じゃないのか。原発事故の現場で命を懸けて修復作業にあたっている人たちじゃないのか。
 原発を続けるにしてもやめるにしても、そこを根っこに据えて考えなければ、後世にまで伝えようとし、受け継いでくれるであろう知恵も叡智も生まれないんじゃないか。
 風土や現場を身体化していない人間が考えれば、その場凌ぎのアタマでっかち的お話しになるだけ。そんなものの胡散臭さや限界を、私たちは目の当たりにしたんじゃなかったのか。