ドナルド・キーンさん

日経新聞4/29朝刊・春秋より
“6年前、ドナルド・キーンさん(88)に会った。本題が終わり、「息抜きにどんな本を読むか」と尋ねた。幕末の画家・思想家、渡辺崋山の伝記を雑誌に連載していたので、気分転換に新しい小説を手にすることがあるかと考えたのだ。
 いま思い出してなお背に汗がにじむのだが、キーンさんはこう答えた。「私は息抜きの読書はいりません。本は難しければいい」。自伝に「生涯を通じて私は、日本および日本人について出来る限りのことを学びたいと努力してきた」と書いている。努力と裏表にあろう覚悟に思い至らず、ただ恥じるしかない。
 キーンさんが日本に帰化し、日本に永住する。震災で決心したという。26日には米コロンビア大学で最終講義をし、「愛する日本で余生を過ごすという私の決断が、人々を勇気づけられればうれしい」と語った。希代の日本文学者がこの時期のこの国を終の住処に選んだ新しい覚悟は、誰の胸をも打ってやまない。
 キーンさんはかつて、桜にあまり美しさを感じなかった。変わったのが岩手県中尊寺で満開の花を目にしたときなのだそうだ。「東北の長い冬の後、黒い森の中で桜が咲くのが、本当の桜の良さなのだと初めて分かった」と講演で話したことがある。きのうは震災から四十九日。中尊寺の桜はちょうど見ごろだ。”


 距離をとって客観的に見ることが学ぶことだと勘違いしている人が多い中で、キーンさんの学ぶ姿勢はそのまま生き様になっている。
 身を交えることが考えることの基礎だ。仁義(すじ)を通してこそ見えてくるものがある。仁義を通してこそ、対象が門を開き、まだ見ぬ世界へ連れて行ってくれる。(現代のヤクザでも、キーンさんのような仁義の通し方ができる人は少ないだろう。)生命という危うい営みにおいて、仕事も学びもいつだって命懸けの行為なのだ。生き様が問われている。
 キーンさんを鏡にして、胸に刻んでおきたい。