茨木のり子『歳月』より  “なれる”

 おたがいに
 なれるのは厭だな
 親しさは
 どんなに深くなってもいいけれど

 
 三十三歳の頃 あなたはそう言い
 二十五歳の頃 わたしはそれを聞いた
 今まで誰からも教えられることなくきてしまった大切なもの
 おもえばあれがわたしたちの出発点であったかもしれない

 
 狎れる 馴れる
 慣れる 狃れる
 呢れる 褻れる
 どれもこれもなれなれしい漢字


 そのあたりから人と人との関係は崩れてゆき
 どれほど沢山の例を見ることになったでしょう
 気づいた時にはもう遅い
 愛にしかけられている怖い罠
 

 おとし穴にはまってもがくこともなしに
 歩いてこられたのはあなたのおかげです
 親しさだけが沈殿し濃縮され
 結晶の粒子は今もさらさらこぼれつづけています