2011-11-29 ”見る”ということ “見”・・・ 『見は人の上部に大きな目をしるした形で、人の見る動作をあらわす。(略)見ることによって対者と心が通じうるという考えがあり、自然との交流も可能であるとされた』(白川静『字訓』より) 『見るという行為は、対手に向かって霊的な交渉をもつことを意味する。(略)見ることによって、その霊は「見(あらわ)れる」のである。』(白川静『字統』より) 目玉から躰、躰から目玉、鍛えなくちゃ!