仲良くする哲学

 人が人と仲良くすることほど大事なことはないと思っている。“なかよしこのよし”の幻想からそう思うのではなく、自分の経験からそう思うのだ。
 人に暴力をふるうことほど虚しいものはない。時が経ち事情が変わると、殴っていた者が殴られる側になり、殴られた者が殴る側に回り、虚しさの連鎖は続く。
 人と仲良くするということは、本当に智慧のいることだし、ただ茫洋と付き合っていて、仲良くなれるはずがない。相手のことを想像し、なぜこんなことを言ったりしたりするのか、相手のことをもっと知ろうとし、相手の立場に立って何とか考えようとする地味な行為の積み重ねの上に成り立つのが仲の良い関係性だと思う。それは相手の顔色を窺うというのとは、まったくちがう。時には、相手を傷つけることを言ったり、したりすることがあってもいい。相手以上に痛みを負う覚悟をもって。(ガンジーの非暴力は、時に素手での暴力を肯定した。それは殴った自分の手の痛みをずっと持ち続けることでもあった。)
 人が人と何とかして仲良くしようとする営みほど智慧と意志のいるものない。それは哲学でもある。天性的な性質からそう思うのではなく、私自身の人生の経験からそれを学んだ。
 仲良くする。それは意志だ。