鶴見俊輔『脱走の話』より
『同志社をやめることにしました。しかし、やめることが、よいことだという自信をもってやめるのではありません。悪いことだが、自分にとっては、やめないことよりも、よいことだと思うので、やめるのです。
悪いというのは、私が親しくして来た人たちにたいして、うらぎり行為をしているという感じをもつからです。
同志社と言っても、機動隊の同志社、山本浩三学長事務取扱の同志社だけでなく、和田洋一氏の同志社、山田慶兒氏の同志社、同志社大学宗教部の同志社、同志社大学職員ベ平連の同志社があるわけですし、自由連合の同志社、同志社大学ベ平連の同志社があります。(略)
親しいひとりひとりの友人の同志社として、これから、同志社は私の中に育ちつづけるでしょう。自分が、その人とともに、誠意をつくして同志社のために働きつづけなかったといううしろめたさをともなって。』
やめてからが本番。やめてからその後の自分の生き様が問われるから。
今までお世話になった方々への感謝を込め、またいただいた恩に報いるためにも、真っ当なことで、真っ当に仕事をしていく。