小林秀雄さん×岡潔さん『人間の建設』

 133頁より
 小林さん
 “芸術の歴史を見ると、いつでも立ちかえるという運動が見られますね。アンプレッショニスムという運動はなるほど新運動だが、やはりあれは一つの復古運動なのです。もういっぺん自然から出直せという主張でしょう。もういっぺん自然をじかに見ろと、モネーは、子供に帰ってもういっぺん睡蓮を見てみろといったわけでしょう。そのときの教養には、すでに科学的な教養というものがありますから、光の波動だとかなんとかいう教養がいっぱいありますから、光の波動だとかなんとかいう教養がいっぱいありますから、そういう教養にひっかかりますが、とにかくもう一度戻るのです。ピカソだって、あなたは無明ということをおっしゃったが、もう一つのモチーフがあるのです。それはやはり自然に帰れということですよ。これは土人に帰れ、子供に帰れということですが。そういうことになるのも、これは決して歴史主義という思想に学ぶのではない、記憶を背負って生きなければならない人の心の構造自体から来ているように思えるのです。原始的時代がぼくの記憶のなかにあるのです。歴史の本のなかにではなくて、ぼく自身がもっているのです。そこに帰る。もういっぺんそこにつからないと、電気がつかないことがある。あまり人為的なことをやっていますと、人間は弱るんです。弱るからそこへ帰ろうということが起ってくる。”
 岡さん
“それを真の自分だといっているのですね。”
 小林さん
“と言うよりも、真の自分を探そうとすると、そういうことになると言ったほうがいいかも知れません。おっしゃる情緒というものにふれるということも、記憶と通じてではないかと考えるのです。本当の記憶は頭の記憶より広大だという仏説があるとおっしゃったが、その考えを綿密に調べた本がベルグソンにあります。「記憶と物質」という本ですが、これは立派なおもしろい本です。”

 この話は何も芸術に限ることではない。生活そのものを自然に根ざしたものにしたいと思う。
 家族を築こう。畑のある家に住もう。犬や猫(や豚や牛やロバや馬)と一緒に住める家にしよう。時々はイノシシ猟に行こう。サーフィンやって海に抱かれる時間をつくろう。自然に帰ろう。風土のある暮らしをつくろう。そこからちゃんと生活を立ち上げよう。広く大きく生きる。それが私にとっての“子供に帰る”ということでもあるから。ガンバルゾ!