舟越桂さんを通してうまれた人間たち

 渋谷文化村のレンピッカ展に行ったら、1階のギャラリーで有元利夫さんと舟越桂さんの版画が展示してあった。とてもとてもよかった。特に舟越さんの版画が、いまの私にはよく響いてきて、ずっと見いってしまった。6年前だったか、広島現代美術館で出逢った舟越さんを通してやってきた人間たちは、今も記憶の中に厳然として在る。作品というより、人間に出会えた記憶として。
 舟越桂作品集 『水のゆくえ』7頁より
『ちゃんと考えることをしてこなかったせいか、最近どんどん言葉がでなくなってきている。時々恐ろしくなるほどである。考察を重ね、結論を導き出す。そういう事を身につけてこなかったように思う。私には数学が欠如していた。少しずつ完全に言葉を失うのではないだろうかと感じてしまう日もある。言葉の数学よりも、私にあるのは映像の変移なのだろう。映像が見えてくる、そしてほんの少し根拠の希薄な言葉が唐突に浮かんでくる、それからー言葉にまで昇華できずにいる思いー、そんなものだけが、私の中に絡りあいながら棲んでいる。私には自分の内側がそのように見える。見える気がする。
 こうした中で、私だけにとどまらず。もっと遠くまで拡がっていく言葉につながりそうな情景を形にしていこうと思う。周囲をも内包する人間の形を作れたらと思う。
 もしも何かを鮮明に言い切らなくてはならないのなら、「混沌」という言葉ぐらいは言えるかもしれない。混沌としていることを鮮明に形にするために、私は頭部と胴体が反対向きの作品を作った。しかし、その形も考えた末に導き出した結論というのではなく、向こうから私のところへやってきたものだった。ずっと以前に私の手が考えもなしに描いてしまった、小さなスケッチが事の始まりだった。どう見ても体が後ろ前の人物。しかし私は、どんな意味がその形に含まれるか集中して考えたわけでもなく、そのイメージをただとっておいた。そして待った。のだと思う。一時は「天使」に使えるかもしれないとメモしたこともあった。それがある時、突然に「混沌を鮮明に語ること」とつながった。
 私の中にある混沌。しかし・・・混沌としているという私の考えには甘えが多すぎないだろうか。そんな疑いが私を責める。責められはするが、ほどほどのところで私は逃げる。私は恐がり屋で、安全弁をたくさんもっている。安全弁を開く音は、私の中にあいまいな響きを残す― 舟越桂 Jan.7 1995』
 舟越さんを媒介にしてやってきた人間たちを見ていると「人間は人間という存在に憧れを抱いていて、人間の中にこそ美しいものは在るのだ」と素直に思える。(精神的な体験として素直にそう思えるということはとても大事。)
 どんな人間にしろ、必ず「周囲をも内包」していて、だからこそ、人間に出逢うことでその人間から立ち上がってくる風土や土地の感じといった微妙なモノを人間は知ることができるのだと思う。人間は人間を通して人間以外のことも認識しているんだろう。
 時々、舟越さんを通してうまれた人間たちに会いたくなる。前に会ったとき以上に言葉を交わすことができる気がする。