鶴見俊輔『かくれ仏教』より

 “私は学問を通して仏教とはどういうものか分かった。それを教えてくれた人は、インド人のアーナンダ・クーマラスワミーです。彼の『ブッダ伝』を読んだら、ブッダの教えについて、こう書いてあった。「汝自身を灯火とせよ be a light to yourself」と。その当時は蝋燭だよね。蝋燭の光みたいなものを、自分の中でともす。その光によって生きよ、と。そして、「犀のように一人で歩め walk alone like a rhinoceros」。犀といっても、二本の角を持つアフリカ犀と違ってインド犀の角は一本で、その中はぶよぶよとした肉で、お互いの闘争の武器ではありません。だから、喧嘩の道具としては役に立たないし、あまり闘わない。だが、体はでかいから、ほかからつっかかってこない。孤独のままずっと一人でのこのこ密林を歩いている。二五〇〇年前には、いまと違ってインドの森の中にたくさんいて孤独の歩みを続けていたらしい。それを釈迦牟尼は見ることがあって、ああいうふうに生きるのがいいというイメージを持ったんだ。
 こういうことを中心とした教理が、クーマラスワミーの『ブッダ伝』には書いてある。私はそれにとても感心した。「なるほど。ブッダのもとの教えはこういうものなんだな」と。学問的にブッダと自分の考えている思想は私と地続きなんだ。非常に親しいものだということを感じた。
 一五歳でUSAに行ったから、それを読んだときは一七歳ぐらいだった。クーマラスワミーの影響を非常に受けたね。彼は芸術論にしても、芸術家などという特別のクラスはないというんだ。一人ひとりが特別な芸術家だ。一人ひとりが a special artist. There is no special class called artist. Everyone is a special artist.これも驚いたね。これはいずれも私の考え方の根本になっている。ある種の小乗仏教だ。”(15、16頁)