野呂邦暢 「一枚の写真から」

 丘があり丘の上には壊れた建物がある。浦上天主堂の廃墟である。
 私は一枚の写真を見ている。二十八年ぶりにアメリカから返還された原爆被災資料のうち、長崎の爆心地付近をとった写真である。画面の中央に廃墟をいただいた丘が写っている。この写真を見たとき私は名状しがたい懐かしさを覚えた。今、再建された天主堂近辺は昔にまして人家が立ち並び、被爆当時のありさまをうかがうすべもないが、この写真によれば丘のまわりは家々も草木も燃えつくして平べったくなっており裸になった土地の形状は細かく見てとれる。
 私の目は丘の斜面にひきつけられた。天主堂廃墟の写真は何枚も見ているが、斜面の勾配を正しくとらえたものにはお目にかかったことがないので、今度初めて公開されたこの写真から目を離すことが出来なくなった。崩れ残った煉瓦壁の垂直とななめに交わる稜線の角度は永久に消えてしまった。天主堂のある丘は、一部が削られ一部は土を盛られて高く石垣が築かれた結果、丘の勾配は微妙に変わってしまい、修復された天主堂は昔の雰囲気から遠い建物になったように感じられた。
 このあたりは子供のころ、私の遊び場であった。私は二十八年を経て日本人の手に戻った写真によって、子供の私が親しんだ土地の映像と初めて再会したわけである。写真に写っている廃墟の丘は現在の丘とはまるで別の世界にそびえているように見える。歳月はすべてを変える。土地も建物も人間も。戦争があればなおさらのことだ。
 二十年の春には私は長崎から諫早疎開した。長崎に暮らしたのは八年に満たないが、私は生まれ故郷であるこの土地に絶ちがたい愛着を持っている。記憶の中に生きている故郷のイメージは現実の長崎とくらべ全くとはいわないまでもかなりのずれがある。本当の意味で私の故郷といえる町はプルトニウム爆弾が一閃したとき消えうせてしまったのだ。やむをえないことだとは思いながら、私は少年時に自分のものであった世界を喪失したことに常日ごろ物足りない思いをしてきた。
 広島で始まったことだが、被災地の町並みを一戸ずつ地図の上に復元する作業が長崎でも進められている。現実に存在しなくなった町々を乏しい生存者の証言を頼りに再現するのである。長崎での作業は爆心地付近の家々を四割がた復元したと聞いている。通りから通りをたどり、その家に住んでいた人の名を調べて地図に記入するだけである。(中村さんの隣は田中さんで、その前は馬場さん、いや馬場さんは疎開していて荒木さんがはいってたというふうに)。
 復元作業は原爆症の基礎データつくりという一応の名目はあるらしいが、その深い意味は非業の死者をとむらうことにあると私は思っている。生者の魂も鎮められるのである。
 私の場合、小説を書くということはどこかこの復元作業に似ているところがある。
 「お前はなぜ小説を書くのか」という問いにはなかなかおいそれと即答できかねるものだ。自明のことのように思ってはいても他人にわかるように説明するのはむずかしい。何か心の奥深い所にひそむ力に動かされて書いているとしかいいようがない。暗黒の領域に属するその力は私に何を書かせようとしているのだろうか。
 いくつかの作品を書くことによって私は少しずつ自分の目指すものを明るみに出したと思う。きれぎれの断片を寄せ集めて過去のある時間を再構成してみること。たとえば私が失った町とそこで過ごした時間である。爆心地周辺の公演と住宅街を作品の中によみがえらせてみたい。死んだ隣人と級友たちがその町を歩くことになるだろう。
 八月九日、疎開地の諫早で私は長崎の方角にまばゆい光がひらめくのを見た。やがて空が暗くなり血を流したような夕焼けがひろがった。夜に入っても長崎の空は明るかった。昭和十年前後に生まれた者はこうして少年時代の入り口で終末的世界とでもいうようなこの世界の破局を目撃したことになる。
 私と同じ世代の作家たちは大なり小なり敗戦を魂のもっとも柔らかい部分に刻印していると思う。日常を描いても、その世界の小暗い片すみには飢えの記憶と硝煙のにおいが存在するはずだ。彼らは常に敗戦体験というフィルターを通してしか世界を見ない。ものを書くということは程度の差こそあれすべて過去の復元である。文章によって経験を再確認することだといいかえられるようである。その結果はっきりするのは、自分がどのような世界に位置しているかということだ。こうして過去のある時間を再現しながら現実には今の世界を生きていることになる。
 地上から消えた私の故郷も記憶の中には鮮明に生きている。芸術とは記憶だ、と英国のある詩人が語っている。なんであれ絶ちがたい愛着というもののない所に小説が成立するはずはない。愛着とは私についていえば私の失ったもの全部ということになる。町、少年時代、家庭、友人たち。生きるということはこれらのものを絶えず失いつづけることのように思われてならない。 (『夕暮の緑の光』100-103頁)