大野一雄『稽古の言葉』より

“私にはわからないが、科学者によれば人間は海からきた。水がある。水は岩を砕く。水は水蒸気となる。考えられないような量の物が繰り返し動いている。衝突があって、火があり、水蒸気となって雨となってそれを巡り巡る。いうなれば海は地球の血液のようなものだ。人を愛すると心臓がどきどきする。”(152頁)

“憎しみが高じてばらばらに解体してしまいたい、そんな思いになったことが、毎日あるんじゃないかな。それは肉体が解体したことと、そんなに違わないでしょう。ばらばらに解体しては、まるで自分が解体されたような思いで、ばらばらになった肉片に手を触れて、心に手を触れて、いとおしんだことだってあるでしょう。そんななかでは、手を差し伸べていとおしむなんてことは、とてももう嘘らしくてできません。じゃあどうしたらいいの。あなたの命が手となって命と命が触れるように、それが踊りの領域だ。憎しみも限りないし、愛も限りない。人間が作った文化、限りない。自然が限りないと同じように、人間が作り出した文化が広がっていく。あるとき、私はそれを極限において体験した。私はあなたにそれを伝えなければならない。”(181頁)

“前衛とかいろんなことが昔、あった。このごろは前衛って言わないでパフォーマンスって言葉が流行しているけれども。先日中上健次に会ってね。そこで日本の前衛をこう見てね、いつもはずかしい思いにかられる、やりきれないほどだ、何やっとるんだろうか、そういう言葉を吐いたんですよ。私には、人間の底辺の問題というか、そういうものがなんとなく感じられないで前衛的とか、パフォーマンスとかいうものがあるような感じがする。職人の芸っていうのはね、私はなんとなくね、「うまいですね」って言葉とちょっと違ってね。底辺にどうしても自分がやらなければ、自分の命が納得しないから、命が納得するところまでやっていくっていうのが職人ですよ。職人芸の定義のなかに、何か知らないけど人間の命にかかわる問題が絡んでいるのが職人ですよ。”(208頁)